植物は朝日和

出勤の最終日、空は高く澄み渡り8分咲きの桜が私の背中を押していた。 今日から有給休暇、しばらくはのんびり生きてみたい。本と植物があれば日々は輝くはずだ。

オオイタビ 海岸の道

 

今日は釣りについてきた。

だが、あまりにも暇だった。

釣れはするのだが、やはりあまり興味がわかない。

餌をつけて投げる。

ウキが沈んで、手元には震えが伝わる。

リールを巻いて、魚を外して。

また、この繰り返し。

作業のようだ。

というわけで、今日は海辺の散歩。

とはいっても浜辺などなく、漁村のような道である。

杉板であっただろう家の残骸は白くなり、窓だったであろう場所からは倒れかけたスピーカーが見える。

それでも植物の生命力は果てしなく強く、ハマヒルガオが朽ちかけた家を飲み込もうとしている。

所々に浜木綿が顔を出す。

以前の住人のものだろうか、大きく育ったアロエがなんとも言えない情緒を醸し出している。

一方、お隣のお家は自然に抗うように、木組みの門から玄関までのアプローチをコンクリートで固めてあった。

その両隣には畑が広がっていて、ナスと南瓜が紫や黄色の花を咲かせている。

家の裏の山肌に等間隔に植えられた紫陽花が印象的だ。

そして、見つけた黒紫の実。

海の近くの生垣に、黒紫の実がなっている。

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「これは、なんだ。」

まだ緑色の実はイチジクの未熟実に似ていた。

たくさんの黒紫に熟した実は所々傷ついて、その断面はイチジクによく似ている。

しかし、どう見ても葉が違う。

人様のおうちの生垣を食い入るように見つめてしまう。

おうち、というより畑の防風林がわりのような生垣だったのが幸いか。

最初は畑に目が行き、気づかなかった。

道に落ちた大きめな実に、足をとられそうになってはじめて意識が向かう。

「あとで調べよう。」

食べられるような、食べられないような不思議な実。

いったい何物なのだろう。

頭上をトンビがヒュー、ルルルルルと飛ぶ。

見上げた空は青く、太陽は厳しい。

目指した神社は目の前だ。

自販機のモーター音が冷たい飲み物を知らせる。

バス停が目についた。

1時間に1本あるかないかの時刻表、日差しを避けるベンチにしても咎める人はいない。

一休みしようか。

 

そういえば先ほどの植物はオオイタビというらしい。

クワ科イチジク属、常緑つる性の植物。

なんでも、雄株と雌株があり、雌株の実は食べられるとの事がネットでわかった。

それにしても、生垣にしては大きな実だった。

食べられるのだろうか。

お味はいかほどか。

「いやいや、人様の生垣の実をとることはないけど。」

イチジクは確かイチジクコバチがいないと受粉しない。

日本にいるのだろうか。

イチジクの生態について考えようとして、やめた。

今の私にとって、子孫繁栄やら生殖の話は嫌気が差す。

『私に言うな、自分の息子に言え。』といえたらどんなに楽だろう。

先日会った義父を思い出してしまった。

当たり前とは、なんなのだろう。

夫婦仲はよいのだ、この話題を挟まなければ。

所詮は自分ではない他の人、自分の思い通りにはいかない。

でも、やっぱり、イラつく。

人の気持ちを思うことをできないと諦めた人に説明しても上手くはいかない。

この場だけ逃げ切ろうとする人なのだから。

だから、庭が欲しい。

突拍子もないと言われるかもしれないが、確かに私の中では理論整然とした事なのだ。

私の、私がいないと成り立たない植物が、ここに存在しなかった植物が、美しく咲く。

いや、美しく咲かせる。

植物たちは測ったように正確には動かない。

病気もするし、虫に食われることもある。

枯れてしまうことも、大きくなりすぎることもある。

それでも手をかけた分、思った分だけ一喜一憂させてくれるのだ。

 

手元のお茶もなくなった。

木陰は優しく、暑さを少しだけ忘れさせてくれる。

自然は優しい。

さぁ、進もうか神社まで。

そして神様に『こんにちは』をしたら帰ろう。

釣りに夢中で、私のことなど気にも留めていないだろうあの人のところへ。

今日の夕飯は何にしよう、帰って魚を捌く元気は残っているだろうか。