植物は朝日和

出勤の最終日、空は高く澄み渡り8分咲きの桜が私の背中を押していた。 今日から有給休暇、しばらくはのんびり生きてみたい。本と植物があれば日々は輝くはずだ。

ラベンダー 義父来訪の話

石膏粘土でアロマストーンを作ろう。

朝から決めた。

ユーカリとラバンジンのエッセンシャルオイルが届いていた。

炎症を抑えるユーカリ、気分を良くするラバンジン。

香りも気に入った。

漢方もそうだが、美味しいと感じたものが体が欲しているもの。

苦い漢方も体が必要としていれば多少美味しく感じる。

治ってきたら味が違う様に感じるのだ。

匂いもしかり。

気分によって好みの匂いが変わる。

少し前までパロマローザにレモングラス、バニラを少し混ぜた匂いが好きでオイルディフューザーで飛ばしていた。

せっかくだから、剪定も兼ねてラベンダーをドライフラワーにしてアロマストーンに差し込もう。

夢は広がる。

どんな造形にしようか。

シンプルな円形、楕円形は外せない。

これは吊せるように穴を開けておこう。

あとは置き型で、バラとネコに挑戦しよう。

粘土を触るのは小学生以来だろうか。

石膏粘土は少し身構えたが、紙粘土とあまり変わりなく作れる。

心弾む時間だ。

小学生が使うような粘土細工セットがほしいが贅沢は言わない。

人間は手という優しい道具を持っているのだから、丸みを使ったナチュラルな造形ができるはずだ。

 

まずはラベンダーを収穫。

夏に多湿になると株が弱るので毎年、梅雨前に風通しが良くなる程度に切り込む。

フレッシュなままお風呂に入れるのも好きだが、保存がきくようにドライフラワーにする。

難しいことは何一つない。

洗って括って干すだけ。

無農薬な入浴剤として使う他に、ラベンダーティーもあるらしいのだが私はやった事がない。

ラベンダーにも様々な種類があって、園芸品種の花びらが耳の様なタイプと昔ながらのツブツブタイプがある。

アロマストーンに差し込むのは見た目が華やかな方のラベンダーにしよう。

少しのお水を用意し、さぁ作業開始。

丸いのと楕円のは簡単だからこそ凝らない。

せっかく石膏粘土なのだからナチュラルに、手のひらの型が多少入ってもよい。

まっすぐ、平らにしたいなら石膏を流して作ればよいのだから。

バラは1枚1枚花びらを重ねていく。

剣弁咲の花びらにしようとしたが、乾燥が早く、丸弁に変更だ。

バラもほんの少し学ぶだけで暗号の様な説明文がわかるようになってきた。

花びらを見ると花びらな端、中心が尖ったのと丸いのがある。

尖り具合も様々でちょっと尖ったのから、尖りの左右がくるっとまるまり尖りが強調されたのまである。

尖りが剣弁、丸いのが丸弁。

花の中心が高いのが高芯、平たいのが平咲。

カップ咲や牡丹咲は文字の通りだ。

次はネコ、1番作り込まなければならない。

体の背中の曲線こそネコたる課題だ。

前足を伸ばして座った姿勢にしたい。

胸の曲線、肩から腕、前足の曲がり、上手くいった。

後ろ足を折りたたんでチマっと座るあの感じ。

ふとももの肉付きとお尻から伸びる尻尾。

次は顔だ。

ここまでパーツ毎に作り、胴体に馴染ませてきた。

微細な表情は全体を見ながらつくろう。

耳をつけ、顔は朧げな目鼻立ちだけで胴体に接着、継ぎ目が分からない様に馴染ませた。

「さすがに爪楊枝くらいはほしいな。」

喉元なでられて、心地良さそうなネコのイメージが出来上がった。

まずは目の表情から作りたい。

切れ長な感じだろうか。

爪楊枝を取るため、手を洗いにいそいそと立ち上がる。

携帯が、鳴る。

…なぜ、今鳴った。

…誰だ。

取らねばならぬだろうか。

取らねばならぬだろう、後輩だったら可愛そうだ。

わからない業務があると連絡がきていた。

でもネコの顔。

「ハァ…。」

応答ボタンをタップする。

「はい、嫁です。」

電話の相手は義父であった。

「今から5分しないくらいで着くから。渡したい蜂蜜がある。」

用件だけで切られた。

いやいや、5分って。

蜂蜜持って1時間、車運転して、でも、この時間、あなたの息子いないんですけど。

私の義父母は世の中の舅、姑の性格を逆にしたような人達である。

義父は世の姑のように息子、息子、息子が大好き。

義母は世の舅のように息子はある程度育ったものと捉えてあまり干渉しない。

因みにさっぱりしていて、私に興味がない。

以前、母の日にお花を送ったら来年からいらないからその分は貯金しろと気遣ってくださった。

それは私の稼ぎ出た分なので、出費が減るのは何の問題もない。

そして主人はお金があれば使ってしまう人間なのでお金がなく、結婚式の費用は全額私が負担した。

義父母はどうしたの?と聞くこともなかった。

お金をかけたと嫌味だけはしっかり言われたが、そのお金の出所は全額、私である。

嫌味を言われても黙ってはいたが、『そちらの家から出た分は全くございませんよ、人のお金の使い道に、文句だけいってる状況と知ったらお恥ずかしいでしょうに。』と内心思う。

実の祖母や両親はお祝儀にしてはびっくりする額を包んでくれた。

因みにどこにでも金額を聞いてくる人はいるもので、それには、はっきり答えている。

そして毎回、『旦那さんが優しくて良かったね』と言われる。

そのたび『私が全額出してるので何をしても両家に文句は言わせません』とお答えする。

どこかで同じ話を義父母がした時に口に出して言う人達ではないが。

まぁ、次に義父母から言われたら他の皆さんと同じ様に返答を、とは決めてるが。

手を洗いながら完全に思考が飛んでいた。

石膏粘土はなかなか落ちない。

着替えは間に合うだろうか、白い粘土が付いてもよいように真っ白な服を着ていた。

駐車場を尋ねる電話、着替えは間に合わない。

ルイボスをポットに沸かしたばかりだからそれで良いだろう。

緑茶が良いならすぐ出せるし。

御茶菓子は退職時の頂きものが沢山ある。

『ガチャッ、ガ!』

そういえば主人には在宅時に鍵をかける習慣がなかった。

『ピンポーン』

 

 

そんなに時間はかけず、蜂蜜を渡していった。

蜂蜜の代わりにと手作りの無添加苺ジャムとハーバリウムボールペンをお渡した。

ジャムはまた加工用の苺が出るだろう。

主人が見つけたら『ジャム作ってー』と買ってくる。

それにしても、ネコの顔。

もう、彫刻刀を頼るしかない。

しかし、彫刻刀も石刻刀は実家に置いてきた。

…後ろ姿を愛でようか。

ラバンジンのオイルを浴びてもらおう。

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ツツジ 夕暮れの道

そろそろ日差しが強くなり、気温も高くなってきた。

日陽と書くと暖かな光を思うのに、日光と書くと途端に暑い気がする。

近頃は太陽は人類を滅ぼそうとしているようだ。

まだ5月にもかかわらず、である。

携帯電話がスマホになってから、ずいぶんたった。

私の年代は中学卒業と同時に携帯を持つ子が多く、私も例にもれない。

そのころは『一文字0.5円だから電話より安い』などと友人と話したものだ。

今の様な大容量を送り合うなど夢のような時代だ。

もちろん、ボタンが付いた折り畳みも出来ないアンテナが伸ばせるやつである。

私達の上の年代はプリペイドタイプのピッチフォンがあったらしい。

しかしすでに私達にとって携帯は電話をするものではなく、文字を打つものである。

なぜ、いきなりこの話になったかというと文字の打ち方だ。

スマホユーザーの多くはスライドさせて文字を打つ。

しかし、私はタップして文字を打つ方が断然はやい。

そろそろスマホのスライドタイプにしようかとは思うのだが、遅いからなぁ。

なかなか進まない。

気付いたら前の様にタップして打っている。

またそれで打ててしまうのだから。

 

携帯電話が変わった様に、気温もずいぶん変わった。

夏は暑くて寝にくい、くらいだったのにもうすでに暑い。

確かに暦の上では夏になろうとしている。

しかし、暦の上で秋になろうと暑い。

やもすると、暦が冬になろうと暑い。

暑い。

散歩の仕方も考えなければならない。

夕方になれば日差しも幾分柔らかい。

夕暮れは思考の時間。

なぜ人は夕方になると考え事をするのだろう。

太陽とともに感情も起伏しやすいのだろうか。

夜に物事を決めると大体ろくな考えではない。

だから私は嫌な感情が出ても、結論をだすのは朝にする。

朝の散歩も良いかもしれない。

きっと涼しく清々しいはずだ。

1人の朝にやってみよう。

 

夕暮れの道をツツジが飾る。

家に急げと暖かく、私を励ます。

5月だ、とツツジに思う。

 

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エアープランツ 出会いの300円

曇り空に強い風。

あまり外に出たい気分じゃないけれど、今日は行きたいところがある。

車で行ってもよいけれど、せっかくなら歩きたいと思っている。

「帽子も日傘も飛ばされるな。」

毛糸のセーターを着たのに寒い。

隙間から冷たい風がぬける。

トレンチコートを取りに戻ろうか。

しかし、足は先に進んでいる。

取りに帰る気はないらしい。

この頃、こういう事がままある。

こうしよう、と思えば勿論そう動くのだが、何となくどうしようかな、くらいの意思の時は体が先に物事を決めるのだ。

「仕事中だったら考えられない事だな。」

電話応対をしながら、後輩の動きを目で追い、間違えそうだったら紙に指示を書いて渡す様なカオスだった。

パソコンを打ちながら上司の動きを感じ、話の内容を聞きいておく。

『あれ何』『これどうするの』が上司の口癖だ。

別の仕事をしていたからといって、一から説明を求めると『聞いておきなさい』と怒鳴られる。

上司が誰と何を話していようと、内容は把握しておかないといけないらしい。

プライバシーもあったものじゃないと思うのだが、気にならない様子だ。

上司が動き出した、資料を探しているのはわかるがさっきまでしていた内容から推測するとアレか。

わかっているが、言われるまで動かないというか、動けない。

パソコン入力を終わらせないと出力ができず、客人が帰れない。

電話が鳴りワンコールで出る、喋りながらパソコンを打つ手は止まらない。

上司が振り向いた。

喋りながら席を離れ、資料を目で探す。

上司は世に言う"片付けが上手"な人で、定位置は大凡で決まっている。

この探し物をする時にいつも頭に浮かぶのは、子供のおもちゃ箱。

ぬいぐるみ、ブロック、その他くらいの仕分けによる定位置しかない。

クマのぬいぐるみは右端、犬のぬいぐるみは1番上などの決まりはなく、箱に入っていれば褒められる。

たまに、他の箱に遊びに行っているのはご愛敬だ。

時にはダイニングテーブルの椅子に、一緒にお菓子を食べようとばかりに座らされていることもあるだろう。

ともあれ、電話のワイヤレス化に成功した人にお礼を言いたい。

話しながら動けるのは非常にありがたいことだ。

資料を発見し渡すと、電話中にも関わらず、上司は普通に話しかけてくる。

ひとまず電話を終わらせるか保留に出来る様に話を持っていく。

大抵は一言二言で事足りる質問なので、すぐ元の電話やパソコン入力に戻れる。

自分の体の隅々まで意思を張り巡らせていたのはもちろん、仕事場は自身の認知領域として知覚していたのではと思う。

『世のお母さんと同じだよ』と言ったら友人は呆れた顔をした。

でも、やはり同じだと思うのだ。

料理をしながら子供の行動に目を配る。

掃除をしながら子供の疑問に答える。

時に危ない行動が見られたら、走って止めにいく。

料理がパソコン入力に、掃除が電話に、子供が上司や後輩に変わるだけだ。

因みに私が動きに気にかけるべきは上司と後輩だけで、同僚は危なげないどころか頼りになるので非常に助けられた。

あとは、家に関することはわかっているように、事業に関する取引業者を知って今後の見通しを理解しておけば良い。

やっぱり、何も変わらないと思うのだ。

いや、同僚の助けがあるぶん、楽かもしれない。

 

それにしても風が強い。

追い風は良いが、髪が乱れる。

ほつれ髪、いや、みだれ髪。

そんな小説があった気がする。

与謝野晶子だった様な気がするから小説ではないかもしれない。

筆者と作者。

「詩は筆者で良かったっけ。」

無性にどうでも良いことが気になりはじめた。

こういう時こそスマホは便利だ。

道の脇にそれて調べものをしていると、道をコロコロ転がるものがある。

右からの風に乗ってコロコロコロ。

みんな同じ方へコロコロコロ。

桜の花びらがコロコロコロ。

散った花びらが風に煽られて縦方向に回転しながらコンクリートの地面を転がっていく。

全部の花びらが風の間をすり抜けるように。

自分の1番細い面を風下に向けて。

風に身を任せて。

少しの重さを残して。

桜の花びらの表現として似つかわしくないのに、この情景は。

コロコロコロ。

語感が気に入ってしまった。

私はまた歩き出す。

追い風に押されて、桜の花びらたちと共に。

花びらの方が早くて、行き先を示すように先にいく。

歩くのが楽しくなってきた。

機嫌良く歩けば目的地は目の前、今日の目的地は100円均一だ。

アロマストーンを作りたい。

「石膏粘土…あった。」

紙粘土は売り切れだったが、石膏粘土は少数在庫がある。

残っててよかった。

実は数日前、エッセンシャルオイルが届いていた。

セルフマッサージで使おうと思っていたが、石膏粘土の存在を知り作ってみたくなったのだ。

レジに向かう途中、グリーンコーナーの前を通る。

エアープランツが私の目をひいた。

しばらく前まで園芸店でしか見かけなかったエアープランツ。

そのまま置いても味気ない。

インテリアコーナーに行ってみる。

「これ良さそう。」

空中に吊るすタイプのオーナメントを持ってエアープランツの前に戻る。

2つ中に入れてみた。

可愛い。

凄く好みだ。

でも、合わせて300円、粘土だけ買いにきたのに。

たかだか300円、でも衝動的に買うのを繰り返すとチリも積もる。

悩んで一旦そのままグリーンコーナーのフックにかけてみる。

可愛い、どうしよう。

一歩ひいて考えていると、横から手が伸びてきた。

「!」

取られた。

びっくりすると声も出ない。

思わず見送って、『それ、100円じゃないですよ』とか『私が置いてたんです』とか言いたい事は後から出てきた。

まぁ、タグがそれぞれに付いてるし、後はレジの人がどうにかするだろう。

まさか一歩離れた隙に持っていかれるとは。

もう一度インテリアコーナーに行き、1番状態の良いものを選ぶ。

100均の品はよく見ると誤差がある。

ワイヤーの溶接の位置が少しずれていたり、メッキに小さな傷があったり。

さっきのならそのまま買ったかもしれないが、もう一度同じ作業をするなら精度を上げねばならない。

エアープランツも葉の形状だけでなく、元気なのはもちろん大きさや曲がり具合などベストパートナーを選ぶ。

同じオーナメントに入ってもらうのだから、せっかくなら形が合うのが良い。

「決まった。」

私は今度こそレジに向かう。

別に良いではないか、300円なら。

先程と違うことを思いながら、矛盾した思考はなかったことにした。

でも、やっぱり可愛いから良い買い物だったと言い聞かせながら。

 

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八重桜と飛行機雲 家は庭は

家がほしい。

家というか庭かもしれない。

お散歩をしていても自然と家の佇まいに目がいく。

庭木はもちろん、配置や外壁とのバランスを見させて頂くのが楽しい。

庭はゆとりだと思っている。

ゆとりがあれば手がまわるが、忙しくなると植物の生きる力に任せることになる。

草は生命力旺盛で、園芸品種はゆったり生きる。

ゆとりがなくても緑は育つ。

 

この辺は田舎と都会の狭間で土地が安いせいか新興住宅が多い。

立ったばかりであろう今風の家も庭付きばかりだ。

その様な新しい家はまだ庭が庭でないというか、違和感がある。

それでも庭好きか否か良くわかる。

今から育てていこうとしてある庭と、補色として緑色をいれた庭。

前者は樹木は育つことを想定してか、余裕を持たせて植えてあるのが素人目にもわかる。

後者は今が1番綺麗であるように植えてある。

よくあるのが黒、もしくは白の外壁にオリーブやユーカリが良く映える庭。

この場合、四角をいくつか組み合わせたような家の形である事がほとんどだ。

オリーブの足元にはコルジリネであろう赤紫色の尖った葉とほふく性のタイムの様な植物が風景を作り出す。

周りは白い敷石かコンクリートで固められている。

色の補色関係をしっかり計算されている。

今は綺麗であるし、醸し出したい雰囲気も良くわかる。

しかし、この感じが2、3年経つと。

「こうなるんだろうなぁ」

数件先に似た様な家がある。

ユーカリの枝は右半分が枯れ枝になっていてタイムは伸びきり、根の近くは茎が木質化している。

白かった床打ちのコンクリートは雨風で黒い筋道が出来ており、全体的にくすんでいる様に見える。

高圧洗浄機でも試したのか波状紋が新たな風景を生み出していた。

「でも、お絵かきさせたら楽しそう。」

小さな自転車が2台見えるので子供がいるのだろう。

高圧洗浄機のお絵かき、楽しそう。

何を描こうか、一緒にやってる人に水がかかったりして。

書くだけ描いたら飽きたと放り出されて、怒ったりするのだろうか。

それでも楽しいだろう。

それとも、近頃は危ないというのだろうか。

…いやいや、今は庭の話であった。

ユーカリは枯れ枝を取り除いてタイムは切り戻してあげたくなる。

それだけでも元気になると思うのだ。

あの子たちはしっかり生きている。

外観を整えてあげれば良い庭の植物になるはずだ。

「やらないけど。」

 

お家のまわりにオリーブの大きな鉢がぐるりと一周しているお家があった。

歩みはとめない。

だって、不審者になるのは嫌だから。

ルッカ、ネバディロ、ミッションなどの札が見える。

葉の違いはわからないが、何となく楽しい。

「わかる、育てていると色んな品種が欲しくなるよね…」

私は庭にモッコウバラのアーチがほしい。

モッコウバラは黄色にするか、白にするか決め切れない。

いっそ、両側から黄と白と両方這わせようかと思うこともある。

しかし、統一性を持たせた庭にしたいという思いもある。

好きなものをランダムに植えるより、テーマ性を持たせた配置にしたい。

植えたい手持ちの植物を提示して、園丁さんに配置図を作ってもらいたいと虫の良いことを考える。

どんな庭になるのだろう。

手持ちは洋花と和花、茶花がまじっているので園丁さんも困ることだろう。

どうせなら料理に使うハーブ畑も小さくほしい。

ハーブはプランターでも良いかもしれない。

夢は膨らむ。

どんな風にしたいという考えはいっぱい持っていた方が良いと学んだ。

一つが実現出来なかった時、別のプランを実行できるからだ。

何度も思考を練り直し、『自分のやりたい』の精度を上げていく。

期日が決まったものは、良い面と悪い面がある。

物事がスピーディーに決まっていく面と朧げな思いを無理やり形にする面。

朧げな考えのまま、業者の前に立つと困るのだ。

業者はプランナーではない。

では、プランナーを置けばよいのだが、あまり上手くいったことがない。

家の場合、プランナーは建築士になるのだろうか。

気の合う仲間に建築士がいるのが1番良いのだが、贅沢は言うまい。

今から友好関係を広げて行こう。

 

細い川が横切る。

耳を澄ませてみれば、せせらぎの心地よい流れに気づく。

泳ぐ魚はハヤだろうか。

メダカみたいな小さな魚影が群れを成しているが、オイカワの子だろうか。

メダカは絶滅危惧種なはずだ。

川沿いに進む。

春だ。

暖かい、いや、少し暑いかもしれない。

様々な草が芽吹いて、美しい新緑が目を楽しませる。

蛇行した川の向こう岸、蘇芳色の花びらがいくつかの固まりになって踊っている。

「派手だな、なんだろう」

だんだんと桜らしき枝ぶりが見えてきた。

御堂の横の八重桜だ。

風に揺られて手毬の様に。

なんと見事に咲くのだろう。

たくさんの花が一緒に咲いて楽しそうにポンポン跳ねている。

お地蔵様も見事だと感じていらっしゃる事だろう。

近寄くほどに、ますます手毬の様だ。

 

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「あ、飛行機雲」

真っ青な空に一本の白い筋が伸びていく。

そろそろ帰ろうかな。

お家に。

マツバウンラン 散歩道は思考の道

「車通り多いかな…」

牛乳と納豆がほしい。

近くの24時間営業のスーパーにもあるが、少し遠いお店の方が安い。

歩ける距離だ、今の私には。

どうせだから気の向くままにすすんで、新たなお店を発見してみたい。

この地区は思いの外、パンの激戦区だと思う。

老舗パン屋さんはイメチェンして物語に出てきそうな店舗になったようだ。

店内には開店当時の攪拌機や昔の写真がインテリアとして調和している。

最初は完璧にインテリアだと思っていた。

レジに並んでいた時に気がついた。

私が生まれる前、このお店の開店記念の写真だ。

もちろん、商品は今様にスタイリッシュになっている。

量り売りのクロワッサンが私の大好物だ。

たまに開店時メロンパンが店頭にならぶが、昭和感たっぷりの甘い甘いパン。

やはり、今時のパンが好みである。

オープンキッチンになっていて、常時6人程度が止まることなくパンを成形、焼いている。

お客さんも絶え間なく、常に焼きたてパンが飛ぶように売れていく。

20台くらいは停められる駐車場は、土日には警備員が立っている。

パン屋なのに警備員、当初は驚いた。

焼きたてパンは、お店のスタンプが適当に斜め押しされた茶色の紙袋に詰められる。

これがまたナチュラルで味がある。

多分、人力で押されたスタンプ。

今日は文字が全部紙袋の上にある。

この適当さ加減が良いと、昔の人にはわからないだろう。

お土産で持っていくと『真っ直ぐじゃない』と言っていた。

そんな言葉もお気に入りクロワッサンを食べる頃には忘れさられたようだったが。

考え事をしながら歩いていると、すぐに時間が過ぎていく。

 

目的の赤い看板のお店に到着。

一応、店内は一周する。

目的の納豆売り場の前で固まった。

「高い。」

納豆が20円も値上がりしている。

62円が82円に。

近頃、物価が安定しない。

ガソリンはだんだんと安くなってきた。

車に乗らなくなったのに皮肉なものだ。

『他の店に行こう。』

私はあっさりお散歩買い物の距離を伸ばすことに決めた。

 

それにしても62円が82円、切手の値上がりみたいな数字だ。

切手が値上がりした時に2円切手や10円切手を買ってきて、封筒にベタベタ貼ったのを思い出し、笑みが溢れる。

『切手を金額に合わせて貼ってください』とパートさんに言っても聞かない。

私の前任者は値上がりした前の値段の切手はそのままに、新しい切手を買って使っていたようだ。

私は初めて切手の管理簿を見た時の衝撃は忘れない。

50円切手や60円切手は10枚ほど、80円20枚以上残っており、その時使えた62円と82円切手が各50枚くらいだった。

しかもシール式。

当社で月に使う葉書の切手はほとんどない。

対して封書の定形郵便は月20部程度。

あとは定形外50g以上の140円が数枚使われる。

こちらから発信することはなく、書類の返信が多かったため、葉書で済むものは往復葉書で届いていたからだ。

前任者が140円切手をどうしてたのかは謎である。

もしかしたら80円切手と60円切手で対応していたのかもしれない。

多分、そう信じたい。

あったこともない人だが、不安にかられた。

しかし、思ったところで何もかわらない。

ある程度人の動きがわかるまで、しばらくは様子見だ。

他の仕事も待ってはくれない。

しかし、切手を追加購入するたびに気になる使えない切手。

使うためにはどうしたらよいか。

パートさん達にどうして金種を足して使わないのか聞くと、面倒だからとの答え。

ならば、解消してあげよう。

ここは郵便局ではないのだから多種多様な切手はいらない。

小さめな透明ビニールにデカデカと『82円切手』『140円切手』と書く。

次の切手値上がりも決まっていたので1円切手10枚と2円切手20枚、10円切手10枚と20円切手を20枚をひとまず買ってきた。

手が空いた時間に内職開始だ。

放置されていたシール式切手を台紙ごとハサミで一つずつ切り分ける。

まず60円切手と20円切手、2円切手をクリップでとめる。

ついで80円切手と2円切手。

ここまでを『82円切手』袋にいれる。

次に取りかかったのは、50円切手2枚と20切手。

これは『140円切手』袋にいれる。

記録簿には各切手毎に管理されている。それぞれの管理記録のページに購入切手の種別と枚数を記入。

そこへ蛍光ペンで線を書き、○年×月△日合算 合計⚫︎⚫︎円と記入した。

そこでもう一度蛍光ペンの出番だ。

『82円分 使用者⚫︎ 使用枚数△ 残○組』ページに記入していく。

因みに何年も動いてなかった50円切手、60円切手、80円切手のページは『廃止のため以下余白』として気持ちよくボールペンで斜め線をいれておいた。

もちろん、次の83円切手のページも準備しておく。

結果は上々、柄が面白いし、楽だとパートさん達も封筒に貼る。

それはそうだ。

シール式切手は柄が面白い。

綺麗な季節の植物もあれば、箔押しされたゴージャスなもの、キャラクターもの、食べ物など多種多様で1シートに同じ柄はない。

どの柄にしよう、とパートさん達の手数が少し増えた気もするが、使えない資産を使えるなら文句はない。

経営者も文句はないどころか、一緒になってシールの柄に見入っている。

そんなことより早く書類を仕上げて、という心の声は、ずいぶん前から口に出すようになった。

通常の仕事はもちろん手を抜いてはいけないし、邪魔もしない。

しかし、デスクワークが嫌いなようで、書類がすぐ溜まる。

そして、他の仕事を無理やり見つけ、すぐにどこかに消える。

昼休みにしか書類をやる時間がない時、疲れたから寝ると昼寝する。

いつからか追いかけまわすのも仕事になり、秘書だと騒がれた。

私は秘書ではなく事務員である。

書類が遅れると困る人も多い。

内容をざっと読み、急がねばならない書類から一枚ずつ資料とともに差し出す。

大体5枚くらいまでなら騙されてやってくれるのだが、6枚目くらいになると残量を見に来て、逃げる。

しかし、これを10日続けると50枚は終わるので繰り返す。

それを月末になると毎回繰り返す。

そう、繰り返していた。

今は、もう、繰り返さない。

今は納豆20円のために歩いている。

 

ふと、左から風が吹いた。

思わず帽子をおさえて風上を見る。

マツバウンランだ。」

 

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柔らかい紫色の草原に所々シロツメクサが咲いている。

ストンと何かが切り替わる。

私は自分で仕事を辞めると決めた。

引き留められたし、泣かれもした。

でも、理解し、みんな動いてくれた。

最後は1週間違いで入った事務さんはサイコロコウヤに五穀米、ごまふりかけなどを選んでギフトにしてくれていた。

ずっと一緒にいたからこそ、私の好みを熟知している。

一年育てた事務さんはマカロンプリザーブドフラワーをくれた。

私の表面的な好みを捉えてくれている。

1番長い時間一緒にいた事務さんは気持ちがこもった長い長い手紙をくれた。

私の涙腺は崩壊した。

 

私は、自分で決めた。

私は強い。

私は脆い。

今が楽しい。

今が心苦しい。

相反する気持ちはいつか言葉になるだろうか。

 

ひとまず、納豆である。

レンゲとアザミとキンポウゲ 行く先はまだ。

 

「きゃら蕨、美味しかったなぁ」

冷蔵庫にはまだ茹でた状態のまま蕨が仕舞われている。

筍と煮付けてもよいし、山菜うどんも、後、天ぷらも。

食への探究と夢は膨らむばかりだ。

そして今日もお散歩にでる。

昨日の蕨の川を渡り、もっと先へ。

 

しばらく歩くといつもは左に曲がっていたT字路にでた。

出勤に慣れてくると、運転中の記憶が曖昧になる。

当たり前に左に曲がっていた道。

見てはいたけど観てはない道。

でも確か、この右角には綺麗な更紗木蓮が咲いていた。

1年前、まだ慣れない通勤路を覚える時、ピンクの木蓮の信号は左と覚えていたからだ。

今は、もう散り終わり緑の新緑が所々に見える。

また芽吹いて1年が巡りはじめる。

見上げた新緑の奥に薄いピンク色を見つけた。

私は思わず奥に見えるものを見極めようと体を左右に揺らしていた。

「桜だ。丘に桜?」

今まで気づかなかったが、更紗木蓮の家の横に細い道がある。

斜め掛けバックの位置を直す。

踏み出した足は軽い。

少しずつ道が細く、田舎らしい畔道になってきた。

視線は斜め上、目指すはあのピンク色。

曲がりくねった道の先。

目指すピンク色を一瞬忘れる程の紅紫色が目にも鮮やかに広がっていた。

久しぶりに見た。

レンゲ草である。

「今でもレンゲ畑にしてあるんだ。」

この辺は田んぼもよくあるのだが、米の後は麦を植えてある事が多い。

麦は麦で麦踏みや出穂など見るのは好きなのだが、レンゲ草の色には負ける。

蓮華色、という言葉が頭に浮かぶ。

私はこのレンゲだと思うのだが、お寺で蓮華色は蓮や水蓮の色だと説法されたことがある。

そうだとしても、蓮華色はこのレンゲ草に進呈したい。

いや、進呈させて頂きたい。

そんなことを思っても、レンゲ草は風にそよそよ揺れている。

今度はぬくぬく日向ぼっこをしている。

こちらまで嬉しくなってくる。

歩みがのんびりになる。

だんだんレンゲ草が終わりに近い。

「ん?黄色が混ざり始めたぞ?」

蓮華色、黄色と葉の緑色。

素晴らしいコントラストだ。

黄色は少し光沢がある気がする。

 

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暖かい風が後ろから吹いてきた。

優しい何かが通りすぎる様である。

あれは確か、赤毛のアンのキンポウゲだ。

大学時代のお茶の先生が大好きだった赤毛のアン

高齢だったにもかかわらず、プリンセスエドワード島のフィールドワークについてこようとなさっていた。

単位取得に関するフィールドワークという名の旅行だったので、教職員が1人増えても問題はない。

だが、フィールドワークであるので小論文が課されるため歩きまわる。

師は当時70歳前後であったと記憶している。

『大丈夫、歩ける』と笑顔で言われた。

もちろん、我々学生は旅程代金は実費であるが、夏休み期間、安全に海外旅行が出来て小論文を仕上げればよいのだからそれなりに需要があった。

海外での行き先はそれぞれのやりたい研究をもとに行きたい場所を提案、承認を得られれば旅行会社が旅程に組み込む。

師は学徒にまじって提案書まで書こうとしていて、事務職員に止められた。

『代金も払うと言ったのに』と悔しそうな報告を聞いたものだ。

その赤毛のアンのキンポウゲ。

ここで会えるとは。

しかもコントラストの美しいことは筆舌に尽くしがたい。

なんと素敵な散歩道。

目当ての桜の丘に着いた時には私の心は大満足である。

田んぼの中に現れた丘にたくさんの桜が咲き誇っていた。

立て看板と石碑が見える。

丘の謂れが書かれてあった。

あまりにのどかな時間の中で、驚かせることのないように、ゆっくりと下生えを踏みしめながら登る。

田んぼの中の畔道を渡ってまでこないのか、階段はあるのに踏み固められていない。

枯れ葉の上に草が葉を伸ばす。

「アザミだ。」

とげとげで、触らないで、でも綺麗でしょ?とばかりに咲くアザミ。

私の思い込みだろうか。

自分の考えにくすりと笑う。

レンゲ色とアザミ色。

古代の日本はどれだけの色に溢れていたのだろう。

アザミとレンゲとキンポウゲ。

お花にお願いして貰ってきた畔道の草花はシンクのそばで春を教える。

蕨 お散歩開始!

 

「でも暑そう…」

つい口をついて出た。

朝起きてご飯作って洗濯して。

窓から見上げた空は快晴で、絶好のお散歩日和である。

「…これは日焼け止め。」

私は、行く気である。

 

顔を洗ってしっかり保湿、今までならファンデだったのだが今日は日焼け止めを塗る。

クローゼット上の奥の方から帽子と遮光カーディガンを取り出した。

鏡を覗くといかにも散歩、という顔が見て取れた。

うむ、満足である。

もう一つのクローゼットには旅行鞄などのすぐには使わないものが入っている。

確か、ここに、ほらあった。

紺とオレンジのランニングシューズ。

派手なこの靴はパラグライダーをしようと友人に誘われた時に一緒に買いに行った。

下から写真を撮る時に、顔がわからなくても靴で見分けがつくと笑った彼女も、今頃は仕事の納期に追われて太陽に当たらない生活をしているはずだ。

少しまえに、LINEのスタンプが影が話しているものになっていた。

あいもかわらず面白い友人だ。

斜めがけのバックにはお財布、携帯、車の鍵、水筒、タオルハンカチ。

出発しよう、お散歩へ。

 

玄関で日傘をピックアップ、次は車だ。

ピッ、ピッといつもの開錠音がする。

運転席からアームカバーを取り出した。

「完全防備で、だね」

すぐに目に入る桜は枝先に蕾が残っている。

視線が上下する。

太い幹からは ひこばえ がでていて、『すでに葉桜だ』と言っていた人を思い出した。

「あれのことか。」

まだ葉桜どころか満開でもない。

まだまだ綺麗になるね、楽しみにしているよ。

桜の咲き方には好みがある。

私は散り際が好きだ。

花びらがひらひら舞い落ちる。

見上げた上は薄いピンクの満開。

「今は今で綺麗だけども。」

小さな呟きに応えは求めてはいない。

ただ風が優しく吹き抜け、桜を揺らした。

 

少し行くと信号がある。

その角にいつも気になるお家がある。

洋館の様な外見に門邸にはレンガのアーチがあり、そのもとにはスノーボールを基調とした寄せ植えがあるのには気付いていた。

一緒に入ってたのはアイビーとムスカリだったのか。

お庭の角には寒緋桜が植えられていて、少し前までそれは見事だったものだ。

今はもう散り終わり、これこそ葉桜。

あったかい雰囲気で大好きなお家だ。

「どんな家族か知らないけれど。」

信号が青になり、足を踏み出した。

 

通勤路を歩く。

気の向くままに。

1年前から私の通勤は、車で1時間ほどになっていた。

交渉の末、出勤時間を30分ずらしてもらった。

時差出勤30分のはずが最後の方は40分になっていたのはご愛敬だと思うことにした、申し訳ないけど。

これでもちゃんと始業時間には間に合っていた。

小学校から今まで無遅刻である。

始業前の雑用を他の人がしてくれているという自責の念は半年くらいで消えた。

それくらいこの朝の30分はとても大事だった。

この時差出勤が認められなければ辞めるつもりでいたのだから。

 

いつもは一瞬で超えていた橋の土手にある獣道、と言うには踏み固められた道が見えた。

進んでみよう。

草の合間を行く。

ワクワクしてきた。

ふと、足元の草が目に止まった。

「蕨みたい。」

 

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幼い頃、祖母と山菜摘みにいった時に日当たりが良い斜面に広がっていたそれと同じに見える。

見えはするのだが、素人が勝手をすれば水仙をニラだとして食べる人がいると聞いた事もある。

「でも、蕨だ。多分。」

写真を撮ってLINEで送る。

『これって蕨であってる?食べて良い?』

返信はなかなかこない。

生成の日傘が目立ったのが、見知らぬおじさんがやってきた。

もう少し近くに来られたらご挨拶をしよう。

そう思ったのに10m程手前でしゃがみ込まれた。

気分が悪いようには見えなかったが、もしかして変質者か、はたまた草に埋もれてお昼寝か、あのファンタジーによく出てくる一場面が脳裏に浮かぶ。

動いている。

暫定蕨を摘んでいる。

暫定蕨が蕨に修正、確定した。

夕飯に山菜天ぷら、蕨のきゃらぶきでも良い。

きゃらぶきは蕗でつくるからきゃらぶきなら きゃら蕨 なのだろうか。

どうでも良いことが浮かぶ。

これだけあるのだから、山菜うどん用に多めに湯がいてアク抜きしておこう。

幼い頃の祖母の言葉が蘇る。

『山菜は手で簡単に折れる上からしか食べれない。摘む時は無理させちゃいけないよ。山菜がくれるっていうところからしか取っちゃいけないよ。』

土から顔を出し太陽に向かう蕨を摘む。

すぐ横にも、その横にも、また隣にも。

探すより先に目に飛び込んでくる蕨たち。

10分も摘めば片手で持てない量になる。

ハンカチに包んでバックにしまう。

ひとまず、おじさんに挨拶して帰ろう。

 

私は蕨片手にウキウキしながら帰路についた。

片手にといいつつバックの中だけど、様々な方向に思考が飛ぶ。

蕨の横から着信を知らせる音がする。LINEが返ってきた。

『食べれる蕨だね』

よし、お墨付をいただいた。

たまたま出会ったおじさんは、私の倍の速さで蕨を摘み取っていた。

それはもう手慣れてある。

かなりの蕨好きか、道の駅にでも出品するのだろうか。

挨拶には素朴な笑顔を返してくださった。

その時点で蕨とわかってはいたものの、知ってる人のお墨付は嬉しい。

『お返事ありがとう』

かなり摘み取った蕨の写真を送る。

爆笑しているスタンプが送られてきた。

機嫌が良いからスルーする。

今は蕨だ。

しかし、帰りついて私は重大なことに気がついた。

重曹を買っていないのである。

掃除用ならあるが、やはり食べ物には使いたくはない。

少し室内を歩き回る。

何かないかなぁ。

やはり目にとまるものはない。

あ、こういう時はおばあちゃんの知恵袋。

お米の研ぎ汁で煮て、冷水にとってそのまま水につけておく。

ネットで調べればすぐ解決策が出るのはわかってはいる。

だが、色々な情報がありすぎて、エグミが残ったりの失敗はしたくない。

「だって、蕨だし」

どれだけ蕨に思い入れがあるの?という心の声は無視だ。

一緒にやった経験に基づいた知識は失敗も成功も覚えているからいざという時に役に立つ。

「前にこの方法でアク抜きしたのは秋の筍だったけど。」