植物は朝日和

出勤の最終日、空は高く澄み渡り8分咲きの桜が私の背中を押していた。 今日から有給休暇、しばらくはのんびり生きてみたい。本と植物があれば日々は輝くはずだ。

キコガサダケ ?

面白半分に手相占いの携帯アプリを入れたという友人に、手相の写真をとられた。

結果、芸術家の悲観主義らしい。

生きるのに苦労しそうな話だ。

しかし、大元の頭脳線は強く、財運線は素晴らしいとの事だった。

一方、後天的に身につけた悲観主義は、失敗からの復活を遂げやすくする思考回路を作ったらしい。

こうやって文言を並べると、人と違った感性でやりたい事をやって失敗しても、リカバリする力があるからなんとかなるといった具合か。

でも、やりたいことには一直線。

やりたいことを諦めることはないのか。

これはもしかして、植物みたいな人間か。

人の言うこと聞かずに太陽に向かって好きに伸びて、そっちは違うって矯正されても自力でなんとかする植物。

 

去年春、感嘆の声をあげた白梅の木が年越しを待たずに伐採された。

そして今、手毬のような花を見せてくれた八重桜がなくなった。

私は1期しかこの子たちの花盛りを知らない。

一昨年はわからないけど、それは見事な様だった。

最後の花は美しいのだろうか。

わかっていたのだろうか、今季が最後だと。

豪雨の長雨は土を抉り、厚い雲は日光を遮った。

大したことない被害でも、それでもやっぱり補修は必要で。

根が露出した植物の鉢に土を足し、雨に叩きつけられて落ちた葉を拾い集める。

緑になりきれない新芽は、葉先が茶色く丸くなっている。

やっと顔をだした太陽に、黄緑の葉を目一杯広げて早く強くなろうと頑張っている。

外部からできることは多くない。

せっせと落ち葉拾いをしていると、ニョキッとキノコが、いた。

動きだしそうなヌメッとコロッとした姿。

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童話や昔話でキノコが動くのは良くあること。

それが実感を伴って、キノコが『いた』。

 

人が作り出した物語は面白い。

最初に感じとった気持ちの積み重ねや思いが脳内に具現化し、文字になる。

動き出した話はもうとまらない。

後は、文字にする作業に悩まされるばかりである。