キコガサダケ ?
面白半分に手相占いの携帯アプリを入れたという友人に、手相の写真をとられた。
結果、芸術家の悲観主義らしい。
生きるのに苦労しそうな話だ。
しかし、大元の頭脳線は強く、財運線は素晴らしいとの事だった。
一方、後天的に身につけた悲観主義は、失敗からの復活を遂げやすくする思考回路を作ったらしい。
こうやって文言を並べると、人と違った感性でやりたい事をやって失敗しても、リカバリする力があるからなんとかなるといった具合か。
でも、やりたいことには一直線。
やりたいことを諦めることはないのか。
これはもしかして、植物みたいな人間か。
人の言うこと聞かずに太陽に向かって好きに伸びて、そっちは違うって矯正されても自力でなんとかする植物。
去年春、感嘆の声をあげた白梅の木が年越しを待たずに伐採された。
そして今、手毬のような花を見せてくれた八重桜がなくなった。
私は1期しかこの子たちの花盛りを知らない。
一昨年はわからないけど、それは見事な様だった。
最後の花は美しいのだろうか。
わかっていたのだろうか、今季が最後だと。
豪雨の長雨は土を抉り、厚い雲は日光を遮った。
大したことない被害でも、それでもやっぱり補修は必要で。
根が露出した植物の鉢に土を足し、雨に叩きつけられて落ちた葉を拾い集める。
緑になりきれない新芽は、葉先が茶色く丸くなっている。
やっと顔をだした太陽に、黄緑の葉を目一杯広げて早く強くなろうと頑張っている。
外部からできることは多くない。
せっせと落ち葉拾いをしていると、ニョキッとキノコが、いた。
動きだしそうなヌメッとコロッとした姿。
童話や昔話でキノコが動くのは良くあること。
それが実感を伴って、キノコが『いた』。
人が作り出した物語は面白い。
最初に感じとった気持ちの積み重ねや思いが脳内に具現化し、文字になる。
動き出した話はもうとまらない。
後は、文字にする作業に悩まされるばかりである。