花束 つれづれと思う
たまたま行った直売所で一株だけ残ったクレマチス。
色も何もわからないが、お迎えすることにした。
昔、実家には祖母が育てたテッセンがあった。
紫色の大輪で、初夏に咲いて、冬は葉がなくなる蔓の花。
枯れたように見えるけど、よく見ると芽が春を待っていることを教えてくれた花だ。
私が園芸を好きになったのはこの祖母の影響だと思う。
細長い庭で1番奥に南天、その横に一重の梔子と山椒の木。
梔子の香りはしていたはずだけど、庭の1番奥まで入っていくのは稀で香りまで記憶していない。
梔子の実がなると収穫していたのははっきり覚えている。
料理に山椒の葉を使うときは若い芽を選んで摘みに行っていた。
私の部屋からは紫式部が見えていて、紫色の実がなるとホトトギスと一緒に小学校に持っていっていた。
今はどうかわからないが、小学校には花瓶があり、花を持ち込む児童生徒が少なからずいた。
そして、窓の下には増えに増えたレモンバーム。
今思えば入ってくる虫がすくなかったのは、窓の下のハーブのお陰だったのかもしれない。
そして、何より記憶にあるのは真っ赤なバラだ。
『バラが咲いたよ、切りにいこうか。』
花開くたびに祖母が私を呼びにくる。
ガクが開いたらそろそろ。
花びらが少しほどけてきたら切り時だ。
幼かった私に祖母は『ここから切ってあげてね』と5枚葉の少し上を指差す。
私が知らない、ずっと前から玄関の戸棚にある鉄の選定鋏を握りしめ、何度も『ここで良い?』と聞きながらバラを切る。
切ったバラは色々な色が混ざった細長いけど重たいガラスの花瓶に生けて、床の間に置く。
これがいつからだったのかはわからない。
物心ついた幼稚園の時にはもう定番だったのは覚えている。
工作に使うのと違う、重たい鋏を持って綺麗な赤いバラを切って花瓶に生ける。
今思うとなんてことない作業だが、幼心に感じるものがあったのだ。
語彙力もなく、漠然としたあの暖かい思い。
そして今もまだ、私の語彙力は足りない。
鋏は私が家を出るときに新品を探したのだが、見つからなかった。
バネもプラスチックも何もついていないただ鉄を曲げて作られた、全部の指が入る丸い大きな持ち手の昔ながらの選定鋏。
根鉢を土ごと切ろうと痛むこともなく、パンジーの花がらもグレープフルーツのしなる枝も切れていた。
私の園芸鋏の認識はこれであったので、置いてある店がないとわかった時はびっくりした。
おかげで私は今、土にも使うの鋏、枝を切る鋏、ピンチ用の鋏、花を生ける鋏の4種を持つことになった。
当時つかせて頂いていた華道の先生にお尋ねしたら『売ってるのは見たことがない』との事だったので相当古いのかもしれない。
そして私は今日もベランダの植物たちに水をあげる。
主人は今日も帰らない。
明日も明後日も。
入籍記念日に届いた花束と座る人がいない椅子。
手元のミシンはテンポ良く進む。
無事であると願いつつ。
健康ではあるのだ。
ただ帰れないだけ。
そして、私は元の職場に顔を出しに行く予定だった。
それもまた先送り。
また、会えるから。